『レッツトラベル!!』 作:塚田浩司
「伊藤様でございますね? 私、ツアーガイドの田所と申します」
中学校から帰宅すると、家の前で見知らぬ男に声を掛けられた。男はタキシードにハットをかぶり、ステッキを手にしている。ガイドというよりもマジシャンに見える。
「本日は伊藤様をご旅行へご案内するためにやってまいりました」
田所はにっこりと笑った。
「あの、待ってください。俺、旅行なんて頼んでないですよ」
「はい。実を言うと、ただいま当社では無料お試しキャンペーンをやっております。今からいかがですか?」
「今から?」
あまりに突然だ。旅行は嫌いではないし興味はある。でも、目の前の男はあまりにも怪しい。
「せっかくですけど、やめておきます」
宏樹は家に入ろうとした。
「何かご予定でもあるんですか?」
田所はまっすぐに宏樹をみつめた。
「いや、予定はないですけど‥‥」
野球部の幽霊部員である宏樹に予定なんかあるわけがない。胸がチクリと痛んだ。
「予定がないのなら行きましょう」
「いや、だから」
宏樹が戸惑っていると、田所はステッキを空に向けた。
「レッツ・トラベル!」
田所の叫び声が聞こえた次の瞬間、目の前の景色が変わった。
えっ、ここはどこ? なんだか空気が薄くなった気がする。どうやら山にいるらしく今立っている真下には田んぼが広がっている。
「驚いていますね?」
田所がニヤニヤしながら聞いた。
宏樹は絶句した。やはり見た目通り田所はマジシャンだったのだろうか。いや魔法使いか。そうでなければ説明がつかない。
宏樹は辺りをキョロキョロと見渡した。すると、この場所はなんとなく見覚えがあるような気がした。
「ここは棚田です。見晴らしが良いでしょう。向こうがあなたの通っていた小学校ですね」
田所はステッキで東の方角を差した。
「あのう、ここ。思いっきり地元なんですけど」
ここは小学校の遠足で歩いて来た場所だ。
ワープしたことは凄いけど、どうせならもっと遠くへ連れて行ってくれればいいのに。
「もしかしてご不満でしたか?」
仏頂面の宏樹に気付いたのか田所が尋ねた。
「ええまあ」
「そうですか。では次へ行きましょう」
田所がステッキを振ると、また目の前の景色が変わった。
今度は一目でここがどこかわかった。山が見える田舎道。その道に沿う様に背の低い木が沢山植わっている。
「こちらは杏の木で有名な名所でございます」
「知ってますよ」
宏樹は食い気味で突っ込んだ。ここも地元だ。
「そうですかご存じでしたか。でも、あんずの花がきれ‥‥ 散ってますね」
「それはそうでしょ。もう9月ですよ」
宏樹は呆れながら花も実もない杏の木を見た。
今でこそただの背の低い木だが、毎年春にはきれいな花が咲き、このあたりでは杏祭りが盛大に開催される。宏樹も親友の健ちゃんと毎年必ず行っていた。たこ焼きや焼きそばもいいけど、杏のソフトクリームが美味しかったな。
そういえば健ちゃんがソフトクリームを買ってすぐに地面に落としたことがあった。けっこうドジなんだよな。健ちゃんは。
健ちゃん元気かな。ふと思い出した。
半年前、健ちゃんは中学一年の三月に親の仕事の都合で転校した。
健ちゃんとは小学校のころから同じ野球チームに所属していて、将来はプロ野球選手になろうと誓い合っていた。プロを目指しているといっても宏樹も健ちゃんも決して優れた選手ではない。でも野球が好きだったし、なにより健ちゃんと野球をするのが楽しかった。
そんな宏樹も今ではすっかり幽霊部員だ。宏樹は自分の頭を触った。春までは坊主頭だったのに随分と伸びてしまった。
「お楽しみいただけていますか?」
物思いに耽っていると、田所に声を掛けられた。
「全然楽しくないですよ」
宏樹は憮然と答えた。
「そうですか。大変申し訳ございません。では次こそは、レッツトラベル!」
こっちの要望も聞かずに田所はステッキを振った。
また一瞬で目の前の景色が変わった。
今度もすぐにわかった。遠くに滑り台とジャングルジムがあり、幼い子供が遊んでいる。そこから少し離れた場所に芝生がしかれただけの広場がある。
「あのう、田所さん。ここ近所の公園なんですけど」
宏樹は苛立ちながら言った。
「またお気に召しませんでしたか。申し訳ありません」
田所は申し訳なさそうに頭を下げた。本当に申し訳ないと思っているのならハワイにでも連れて行ってくれればいいのに。
宏樹はその場でしゃがみ込み芝生を触った。
ここに来るのは半年ぶりだ。部活が休みの日はいつもここで健ちゃんとバットを振ったり、キャッチボールをしたりしていた。
当時、宏樹たちは同級生たちのレベルの高さにすっかり度肝を抜かれていた。このままだと三年生になっても試合に出られないかもしれない。そう思うと焦る気持ちが湧いた。だからこそ始めた自主トレだった。
健ちゃんは今の学校ではどうなのだろう。転校したばかりのころ「ここも同じくらい練習が厳しい」と電話で健ちゃんは言っていたけど、今もめげずに頑張っているのだろうか。
電話で近況を聞きたい気もするけど、宏樹が野球部の練習に行かなくなってからというもの、健ちゃんとも疎遠になってしまった。もっとも健ちゃんは転校先で必死だろうからこっちにかまっている余裕はなさそうだ。
二年生になってから、あんなに楽しかった野球がつまらなくなった。
二年に進級した時は、健ちゃんがいなくなって寂しいけど、レギュラーを目指して頑張るぞ。と気合をいれていた。
しかしその気合はすぐに萎えた。
原因は新入部員だ。今年の一年生は稀にみるレベルの高さで宏樹の実力では全く太刀打ちできない。せっかく進級したというのにレギュラーへの道がさらに遠ざかってしまった。
そんな自分があまりにも惨めで、とうとう宏樹は部活から足が遠のいてしまった。こんな状況でも健ちゃんがいれば何とか踏ん張れたかもしれない。でもそんなことを思っても健ちゃんは帰ってこない。
宏樹はため息をついた。
「伊藤様、満喫されたようなので次に行きましょう」
田所が言った。
「いや、全然満喫していないですよ。むしろテンション下がりましたよ」
「そうですか? それはいけませんねえ。では次で最後にしましょう。そろそろ空も暗くなってきましたし」
空を見るとたしかに暗い。野球部の連中も帰宅したころだろう。
「では、行きますよ。レッツ・トラベル!」
田所はステッキを薄暗い空に向けた。
どうせまた近所に連れて行かれるのだろうな。そう思った時にはすでにワープしていた。
今度は校舎が見える。ここは学校だ。でも、自分が通っている中学とは違う。
「ここはどこですか?」
宏樹は田所に聞いた。すると、田所はステッキで宏樹の背中の向こうを差した。ステッキの方を向くと、そこにはグランドがあった。でも時間も時間なので誰もいない。それにしてもここはどこの学校だろう。宏樹はグランドに近づいてみた。
すると、ブン、ブン、と馴染みのある音が聞こえてきた。
音のする方へさらに歩み寄ると、人影が見えた。息を切らしながら懸命にバッドを振っている。暗くて、顔はよく見えないけどフォームで分かった。
「健ちゃん!」
気付くと声に出していた。
健ちゃんはバッドを振るのをやめてこっちを見た。
「あれ、もしかして宏樹?」
健ちゃんはバッドを置いて、宏樹の方へ走ってきた。
「やっぱり宏樹だ。どうしたの。なんでここにいるの?」
「あっ、ああ。近くまで来たからさ」
宏樹は適当にごまかした。
「もしかして敵情視察? なわけないか」
健ちゃんは笑ったので宏樹も釣られて笑った。
「こんな遅くまで素振りしてるんだね」
宏樹は言った。
「こうでもしないと試合に出られそうにないからね」
よく見ると健ちゃんのユニフォームは泥だらけだし、頭は五分刈りだった。急に自分の頭を見られるのが恥ずかしくなった。
「同級生とうまくいってる? クラスに可愛い子はいるの?」
野球の話を遠ざけたくて宏樹は尋ねた。
「ああ、まあまあかな。でも、それよりも僕には野球があるからね」
健ちゃんの口元から白い歯がこぼれた。
遠ざけたつもりが、また野球に話しを戻されてしまった。それはそうか自分と健ちゃんとのつながりは野球なのだから。
「あのさあ、僕には目標があるんだ」
宏樹が黙っていると健ちゃんが言った。
「目標って?」
「それはね、三年生の最後の大会で宏樹のチームと対戦すること。もちろんお互いレギュラーで」
宏樹の胸がギュッと締め付けられた。
「実は次の練習試合に出られそうなんだよ。レギュラーが保証されているわけではないけど、監督が一回チャンスをやるって」
健ちゃんは弾けるような笑顔で言った。
「そっ、そうなんだ。良かったじゃん」
宏樹は作り笑いを浮かべた。
「ありがとう」
「じゃあ、練習の邪魔しちゃ悪いからこれで行くね」
「うん。じゃあまたね。宏樹も頑張って」
最後にそう健ちゃんに声を掛けられたけど。宏樹は返事をすることが出来なかった。
宏樹はしばらく呆然と立ち尽くした。
「ではそろそろ帰りましょうか」
振り向くと、いつのまにか田所がいた。
「田所さん。わかりましたよ。あなたが僕を連れまわした理由が」
「そうですか」
田所は優しい笑みを浮かべた。
「あの、おせっかいついでにもう一か所連れて行ってもらいたいところがあるんですけど」
「はい。どちらでしょうか?」
「床屋に」
宏樹が頭を触りながら言うと、田所はにんまりと笑った。
「かしこまりました。ではレッツ・トラベル!」
今までよりも大きなアクションでステッキを振ると、宏樹の目に床屋のクルクルが飛び込んできた。
「じゃ」
宏樹はそう言いながら田所に背を向けた。
「えっ、それだけ‥‥」
宏樹の背中に田所の戸惑った声が届いたが、構わずに床屋のドアを開けた。
「お客さんどうなさいますか?」
椅子に座ると、理容師に聞かれた。
「金髪にしてください」
「えっ、君、中学生でしょ? いいんですか?」
大きな鏡に理容師の心配そうな顔が映る。
「いいんですよ。いいんです。もうなにもかも」
宏樹は鏡に映る、涙目の自分を睨みつけた。
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